自由な生活を満喫してしまう
息子は5年生の後半からどうも学校に行く事や、宿題をするという、基本的な事が億劫になっていったような気がします。
しかし、5年生の時のクラスはとてもまとまりが良くて、先生もベテラン先生。
後半、宿題をしないで学校へ行く息子に先生も何度か注意し、諭してくれたのだが聞く耳もたず。
そこからして問題だったのですが、私は、娘の起立性調節障害 で手一杯でした。
まずいまずいと思いつつ、放置していました。

いわゆる、ワンオペ というヤツでした。
ワンオペの理由は 息子くんにも悪い兆候…。
にもあるように、父親がやらかしてしまい、我が家から離脱したから。
4年生の11月からずーっと母と姉と自分とで結構自由に暮らしていました。
父親はめったに怒らないけれども、いろいろと細かく注意をするタイプ。
私(母)は導火線が短く、ガン!と怒ってしまうタイプ。
おそらく、私だけだと楽だったんでしょう。
口うるさい人がいなくなった。
その積み重ねで5年生を終え、6年生になり、人数の都合でクラス再編成になり、口うるさく、結構しつこい女性担任にあたり、もう学校が嫌になってしまっていました。
そこからはゲーム依存、不登校と、私やじいちゃんばあちゃんを悩ませる日々が続きます。
先生達との作戦会議
夏休み前、私だけ学校へ行き、先生と話をする機会が複数回ありました。
メンバーは、
- 担任の先生
- 保健室の先生
- 教科主任の先生
- 私
の4人。
教科主任の先生は、学校の中の問題を抱えた子ども達の相談役。
いろいろと見守り方を提案してくれたり、私の気持ちも汲んでお話しをしてくれたり。
その頃の私は涙腺がバカになっていて、優しい言葉をかけてもらうだけで涙がこぼれそうでした。追いつめられていたんです。
集まって話すのは、今の現状を見て、本人にどう接するか。
「ゲームやめろ」「学校へ行きなさい」ではおそらく逆効果だろうということで、
作戦を立てて大人チームでどうやって攻めていくかを考えました。
- 毎日、どれだけゲームをしているのか記録をつける(1日何時間しているのかデータをとる)
- それを見せてどれだけの時間をゲームに割いているのか、それで本人はどう感じるのかを聞く。
- ゲームをすることによって起こりうる、体や心への影響を保健室の先生に説明してもらう。
- ゲーム依存症はWHOでも認定された病気なのだということを資料を見せて認識させる。
- 「あなたはまだ『依存症気味』だけれども、このまま行くと依存症になって、入院しなければ治せなくなるかもしれない」という声掛けをする。
脅しのような言葉だけれども、悲しいかなこれが現実。
しかも『依存症気味』なんて言ってもらっているけども、
私にしてみれば立派な依存症。
これでどこまで真剣に考えてくれるようになるのか…。
これを毎日のデータを元に、2〜3週間に一度の割合で行われました。
学校に行かない息子にイライラしたり、頭に来たりする毎日の中で、
一呼吸置けて、
と言ってくれる大人がいるってことだけでも救われる気がしました。
夏休み前の校長室にて話合い
夏休み前に、本人を交えて話し合いが行わることになりました。
場所はなんと校長室。
校長は他の用事があるそうなので参加はできなかったのですが、
校長室で話し合い!ということだけで、息子は緊張していました。
夏休み、どう過ごすのか。
さて…母には地獄の夏休み…
息子も先生から詰め寄られました。
先生から提出された紙を見て焦りました。
1学期休んだ日数は、なんと30日にも及んだという驚きの結果が…!
1日5時間としても、150時間遅れている計算に、母はクラクラ。
その遅れをどうして埋めるか?
もちろん、担任の先生は
となるわけですが、その担任の先生が苦手な息子はなんとかそれは避けたい…。
強固に拒み、
という到底できそうにもない提案をしてきました。
あまりに言うので、先生も強くは言えず(強く言うとまた逆効果になりそうなので)
「じゃあ分からない時はすぐに電話してね」で着地。
体力も相当落ちて来た
あとは、空手も行かなくなり、ダラダラゲームばかりしてきた息子の体は、なんとダラシなくなったことか。
こんな腹してなかったじゃん…。ぽよぽよ。
これも問題だよね、と保健室の先生が優しく諭してくれました。
ゲームの時間を減らして、体を動かす時間を増やそうね、と優しく言ってくれました。
母の言葉より効く、まわりの大人の声
結論として、私が怒って言おうが、クドクド言おうが、優しく言おうが、
結局、母親以外の大人の言うことの方が聞くってことが分かりました。
残念ながらそういうことなのです。
息子本人もその方が危機感があるみたいだし、
私も、自分の「報われない説得」を他の人がしてくれることで、楽になりました。
怒りで沸騰した脳みそや、うまくいかない焦燥感で軽く鬱っぽくなってしまったココロの負担を少し軽くしてもらった気がしました!
いろんな人の協力を得て、恐怖の夏休みに入る覚悟が出てきた頃の話でした。